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日本の教育は 命の尊さを本当には説けない

近頃、子供が絡んだ血なまぐさい事件が増え、教師は、子供達に命の尊さを教えなければならないと言われます。しかし、悲しいかな、宗教性を排除した日本教育ではそれが説けないのです。日本の教育の矛盾が至る所で噴出しています。
 命の問題を単に、科学の立場から説けば、アメーバのようなものから次第に高等な生物へと進化を遂げて今日の人間に到達したということになるでしょう。それならそこらへんの生き物、例えばゴキブリと大して変わりないということにもなってしまいます。となれば、人間の命が尊いとするのは人間の勝手だということにもなります。人間を偶然の産物とする進化論や唯物論では、絶対、命の尊厳は説けないのです。
 人間がなぜ誕生したのか、なぜ創造されたのか、その目標に基づく人間の価値観からこそ、命の尊厳を語ることができるのではないでしょうか。

『人をたすける心は真の誠一つの理でたすける理がたすかる』という一見、人に向かう「たすける」という他動詞の行為が、実は自動詞の「たすかる」という不思議な力を生んでいくという真理は、共倒れや自滅に陥りやすい生存競争をはるかに超えた価値観だと思うのです。この「人をたすける」精神こそが、共倒れや自滅ではない、互い助け合いの繋がりを発現させていく力です。さらに、 人間の命が存在する目的、『陽気ぐらし』をともに楽しむための大切な日々の実践でもあるのです。

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