席を譲らないのも優しさ?
人間関係が希薄になったと言われてますが、優しさという言葉にもそれが入り込んでいることに驚きました。
例えば、バスの中で老人に席を譲ろうと思うが、もしその老人が、自分のことをそんな年寄りだと感じてなかったら、年寄り扱いされたことで気を悪くするかもしれない、だから、その人に席を譲らないのは、むしろその人への「優しさ」なのだと言うのです。
以前は、相手の気持ちに思いやり、積極的に心を向けることが優しさでした。相手の気持ちに「立ち入る」形で距離を縮めたのです。しかし、若い世代では、むしろ相手の心中に「立ち入らない」、相手との距離を維持しようとするのが「優しさ」というのです。
この新しい「優しさ」の特徴は、「優しさ」を向けているつもりの当人は、相手には積極的に何も働きかけないことです。多少は「何かした方がいいのではないか」という思いが生じても押し殺してしまうのです。
こんな優しさを当然とする社会では、逆に、本当に困っている時、なかなか「助けてほしい」と言えなくなりそうです。手を貸して欲しい、相談にのって欲しいと思っている人が、そのきっかけを失いそうな冷酷さもあるような気がします。
「やさしい心になりなされや。人をたすけなされや。」は、社会のあらゆるレベルで、どんな状況に陥っても治め、かつ活力を生み出していく人間関係の真理。やさしい心は、むごい心の反対、人の難儀を見ていられない、人にたすかってもらいたいという誠の心です。
また、人間は、親神を親と仰ぐ子供、お互いは兄弟姉妹、他人というは更に無い、とも。おせっかいなようでも、困っていないかしらと、声をかけ、手を差し伸べる、広い意味で兄弟姉妹の心でありたいものです。
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