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透明な存在?

いつぞや幼い子供の命を残酷な形で奪った少年の供述の中に<僕は透明な存在だった>とありました。その言葉に深い悲しみと同情を禁じえませんでした。

さらにびっくりしたことには、その供述に対して多くの青少年が共鳴したことです。僕もそうだ、家の中にいても、学校でも僕がいたっていなくったってなんともない・・と。

これまで子供をめぐる環境が悪化しているんだということを肌で感じた記憶があります。

何が原因か、何が悪いかは評論家に任せます。

原因や犯人を捜すことも大切ですが、まず今、ここで何からどう生きていくかが見えてこなくてはならないでしょう。人間は、自分のことだけをしていると生き方に充実したものをなくすように感じます。

自分の得になることばかりの歩き方には、気がついてみると実りがあるようでたいしたものでもない、満たされない寂しさを感じます。

人は自分以外の人あってこそ人になれるので、他人のために何かをする、他人の困っているところを手助けするという無償の働きにこそ、自分の生き方の命の躍動を感じる存在に作られているようです。

人たすけてわが身が立っていく、人に尽くす心がわが身が生きている味わいなのかもしれません。味の出るような心の砕き方が、お互い透明な存在から<なくてはならない存在>になる一つの道でしょうか。

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