他人に迷惑をかけない人間になってほしいという親が、かえって迷惑をかける子供を育てる?!これいかに?

 「どういうお子さんに育ってほしいですか」と尋ねられて、「他人に迷惑をかけない人間になってほしい」と答える親が少なくありません。ちょっと聞くと、成る程と思いますが、他人に迷惑をかけないために家庭でどんなしつけをしているかというと、首をかしげることがあります。
 日本の家庭教育は、世界各国と比較して、「うそをつかないように」「弱い者いじめをしてはならない」などという社会のルールや道徳を教えている親が極端に少なく、友達同士のような親子関係だそうです。<文部省の調べ>
 他人に迷惑をかけないという言葉の裏には、人に迷惑をかけなければ何をしても自由だという思いが見え隠れします。そこには他人も社会も眼中にありません。地域共同体のモラルが崩れ、それにかわるモラルも見出せずに、拠り所を失った社会の行き着いた結果でしょうか。
 世間を騒がせているトラブルの殆どが、自分のことしか考えない身勝手な動機から引き起こされています、それは、なぜなら、普遍的なモラルを持たない人間の関心は、ただたんに自分個人と家族だけに向かわざるを得ないからです。

住んでいるところや時代が変わろうとも、変わらない普遍的なモラルとは、人間の存在の目的まで遡って考える必要があります。
親神が人間を創られる時、「人間に陽気ぐらしをさせて、共に楽しみたい」と思われたこの創造主の思いからこそ普遍的なモラルが引き出されましょう。即ち、普遍的モラルとは、周りの人々と助け合って陽気ぐらしを作り出すということです。人だすけのできる人間に育てるということが、家庭での子育ての究極の課題です。

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日本の教育は 命の尊さを本当には説けない

近頃、子供が絡んだ血なまぐさい事件が増え、教師は、子供達に命の尊さを教えなければならないと言われます。しかし、悲しいかな、宗教性を排除した日本教育ではそれが説けないのです。日本の教育の矛盾が至る所で噴出しています。
 命の問題を単に、科学の立場から説けば、アメーバのようなものから次第に高等な生物へと進化を遂げて今日の人間に到達したということになるでしょう。それならそこらへんの生き物、例えばゴキブリと大して変わりないということにもなってしまいます。となれば、人間の命が尊いとするのは人間の勝手だということにもなります。人間を偶然の産物とする進化論や唯物論では、絶対、命の尊厳は説けないのです。
 人間がなぜ誕生したのか、なぜ創造されたのか、その目標に基づく人間の価値観からこそ、命の尊厳を語ることができるのではないでしょうか。

『人をたすける心は真の誠一つの理でたすける理がたすかる』という一見、人に向かう「たすける」という他動詞の行為が、実は自動詞の「たすかる」という不思議な力を生んでいくという真理は、共倒れや自滅に陥りやすい生存競争をはるかに超えた価値観だと思うのです。この「人をたすける」精神こそが、共倒れや自滅ではない、互い助け合いの繋がりを発現させていく力です。さらに、 人間の命が存在する目的、『陽気ぐらし』をともに楽しむための大切な日々の実践でもあるのです。

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